「岐路に立つ裁判官  独立した司法が原発訴訟と向き合う」

『判例時報』2345号、2017年11月11日発行、判例時報社、pp. 3-5. (PDF ダウンロードはここをクリックしてください。)

岐路に立つ裁判官(8)
独立した司法が原発訴訟と向き合う①
――原発訴訟の基礎知識――

第一 原発訴訟の重要性
今の日本の社会問題、政治問題、経済問題の中で一番重要な問題は、実は原発問題である。それは大げさだという人がいるかもしれないが、事実だ。
なぜならば、原発の重大事故は、全ての社会的な基礎を覆すからだ。福島第一原発事故の最中に当時の原子力委員会の委員長近藤駿介氏が菅直人首相(当時)に提出した「福島第一原子力整電所の不測事態シナリオの素描」(通称「最悪シナリオ」)は、事故が最悪の経過をたどれば、半径二五〇km圏内(首都圏を含む東日本全体)が退避地域になると警告した。それは、国が亡びるのに等しい被害だ。そうなれば、全ての経済活動は停止し、日常生活は根底から覆される。治安の維持、貧富の格差是正、介護等の福祉、雇用拡大、教育、待機児童の解消、文化と技術の振興などどころではなくなる。行政の機能は麻痺する。司法さえ機能しなくなる。裁判官も放射能から逃げなければならないからだ。全ての社会、政治、経済問題は原発重大事故によって吹き飛ばされてしまうのである。原発重大事故を起こさないことは全ての社会、政治、経済問題の基礎なのである。
だからこそ、その原発重大事故を起こさせないために提起される原発訴訟は重要なのである。国の存立基盤に関わるのだから、全ての裁判の中で原発訴訟が一番重要だというのは決して大げさな言い分ではない。

第二 原発訴訟の種類
原発関連訴訟の種類としては、①差止訴訟、②設置許可取消の行政訴訟、③損害賠償請求訴訟、④株主代表訴訟がある。
①差止訴訟は、本案訴訟と仮処分事件に分かれる。従来は、本案訴訟がほとんどだったが、最近は仮処分に重点が移りつつある。本案訴訟では、判決に仮軌行宣言がつくことがほとんど無いので、最高裁で確定するまで執行力を持たない。それでは時間的に間に合わないということで、仮処分が多用されるようになってきた。再稼働許可(法的には、新規制基準への適合性審査の合格即ち設置変更許可)のなされた原発について、順次、差止仮処分が申請(勿論、本案訴訟は維持しつつ)されるというのが現在の流れだ。場合によっては、 一つの原発に複数の仮処分が申し立てられる(四国電力の伊方原発については、松山、広島、大分、山口の各地裁に係属している)。現在、全国で本案訴訟は二九件、仮処分は八件が係属している。
②行政訴訟は再稼働許可(設置変更許可)の取消訴訟のかたちで行われることが多い。重要なものとしては、川内原発についての設置・全史許可取消訴訟やもんじゅについての設置許可の取消しの義務付け、設置許可無効確認がある。
③損害賠償請求は、福島原発事故に起因する損害の賠償の請求である。原子力損害賠償紛争解決センターによる和解仲介手続(以下、ADRという)で処理されている件数が圧倒的に多いが、それに不満または信頼しない人々が訴訟を提起している。
原賠法により無過失責任となっているので、因果関係の主張・立証で足りる。ただし、国をも被告とする場合は「規制権限不行使」を過失として主張上立証しなければならない。前橋地裁判決(平成二九年二月一七日)はこれを認めた。その後、千葉地裁判決(平成二九年九月二二日)はこれを否定し、福島地裁判決(平成二九年一〇月一〇日)はこれを認めた。なお、原発事故による被害で最も深刻かつ核心的なのは、甲状腺がん、白血病などの健康被害である。小児甲状腺がんは本来は一〇〇万人に一〜二人という稀な病気だが、福島では三八万人に対して一九〇人以上発生している。この異常な発生率は、小児甲状腺がんと福島原発事故の因果関係を示していると思われるが、政府も県も「因果関係があるとは考えにくい」としている。その関係もあってか、原発事故と健康被害の因果関係を認めた判例はない。しかし、小児甲状腺がんを理由とする訴訟の提起が起きることは必至で注目される。
損害賠償請求訴訟は、全国で約二〇件、原告数で約一万一〇〇〇人という状況である。
④株主代表訴訟は、東京電力の株主が提起している。勝俣恒久氏ら元幹部役員を被告とし、訴額は、二二兆円である。ただし、貼用印紙額は、株主代表訴訟なので、一万三〇〇〇円である。審理は、人証調べ直前で、強制起訴による刑事事件の進行を横目で見ながら進行している

第三 原発訴訟の技術的困難性と課題
原発訴訟は技術的側面が非常に強い。原発の基本的構造に始まり、地震、津波、火山、人為的ミス等々についての発生原因、その威力・効果、それらへの安全対策の内容と効力、事故発生時の対応、避難の方法・実効性等々全てにわたって高度な技術的知識が必要となる。そして、その主張・立証のため膨大な主張書面と書証が提出される。書証番号が五〇〇号証を超えることは珍しくない。
それらによる論争にいきなり分け入ると裁判官は自信を失い、訳が分からなくなってしまう。そうすると裁判官は「分かったふり」または「分かっているふり」をしなければならなくなる。そうするためには、当事者への率直な質問や釈明をしないようにすることになる。質問などをすると「分かっていない」ことが分かってしまうからだ。その結果、どうなるかというと、電力会社、行政当局、電力側の学者の意見をそのまま受け入れ、はさみとのりで判決を書くということになる。なぜなら、それが一番楽で無難だからだ。判決後、マスメディアから「素人の裁判官に何が分かるのか」といった心ない非難を受けないで済むからだ。

一 課題一
過度に技術的な迷路に入らないようにするためには、まず、第一に、裁判官は日本の原子力発電の問題の全体像を把握する必要がある。原発問題についての俯敵図を持つ必要がある。そうすれば、日本社会全体における当該訴訟の位置付けや意味を理解することができ、見当違いの非常識な判決をしないで済む。「木を見て森を見ず」の弊を避けなければならない。原発の全体像を把握するためには、そのような書物や映画(ドキュメンタリー)を見るのが良い。裁判官に私知は許されないとすれば、当事者に対し、そのような書物や映画を証拠として提出するよう促せばよい。原発推進側のものとしては「原子力白書」、反対側の書物としては「原子力市民年鑑」、「反原発、出前します 高木仁三郎講義録」、映画としては「日本と原発 4年後」(法廷で上映されたこともある)、「日本と再生 光と風のギガワット作戦」などがよいだろう。
現在、日本では、原発について、「必要・安全・安心」キャンペーンが根強く展開されている。このキャンペーンは、三・一一福島原発事故直後は影をひそめていたが、最近は再び息を吹き返している。裁判官もテレビも見れば新聞も読む。裁判官もこのキャンペーンの影響を受け「資源小国の日本には原発は必要だ。世界最高の新規制基準に合格した原発は安全・安心だろう」と思っていないか。そのような思考枠組のバイアスを先ず取り除かねばならない。そのためには、原子力問題の俯欧図的把握が不可欠なのである。

二 課題二
技術的迷路に入り込まない方法の第二は、裁判官が当事者に率直に質問することだ。
今までに原発に深い関心を持っていたことがなかったであろう裁判官が、いきなり技術的問題を提示されて、すぐに理解できるはずがない。当事者はそのように見ている。だから、裁判官は心を開いて率直に質問すればよいのだ。間答のやり取りによって、裁判官は問題の核心に近付き、正しい理解に至ることができるのだ。ただし、そのためには、裁判官は記録をよく読んで間題点を把握しなければならない。よく記録を読まなければ質問もできないのだ。
私たちは、質問をほとんど発しない裁判官に接すると、「この裁判官は記録を読み込んでいないな。」とみる。そのような裁判官は審理は形式的にさっさと進めて結審し、それからゆっくりと記録に目を通して、電力、行政側の主張と証拠を適宜採用した判決を書くことになるのではないかと想像する。
裁判官による質問の場として適切なのが「プレゼンテーション」である。弁護士または専門家が、パワーポイントなどを用いながら、技術的な問題点を説明していくのである。裁判官は、随時、「そこをもうちょっと説明して下さい。」とか「このパワーポイントのこの赤線は活断層なのですか」とか質問できるのである。このプレゼンテーションは、伊方原発差止の仮処分などで数回実施された実債がある。プレゼンテーションの法的位置付けは議論があるが、パワーポイントの印刷したものを調書に添付するなど記録として残しておくことも可能である。プレゼンテーション以外に、裁判官が書面による求釈明をして当事者に釈明書を出させ、それをもとに審訊の場で更に質疑をするというのも良い方法である。ある高等裁判所で行われた実績がある。

三 課題三
第三に留意しなければならないことは、住民側と電力側、国側との力量の差である。
電力側、国側には支援する学者が集団として存在する。電力・国側から依頼されれば喜んで電力・国側に有利な意見書や鑑定書を書く有力学者はたくさんいる。なぜなら、原発推進に賛同する学者や大学教授は日常的に電力側から研究費や冠講座をもらい、ゼミ学生の就職厚遇などを得ている。したがって、頼まれれば進んで意見書を書き、証人となるのである。勿論有償だろう。しかし、原発反対側はそうではない。そもそも原発反対もしくは中立を標榜する学者は企業から研究費をもらえない。企業に支配される学界での地位向上も望めない。だから、脱原発に味方する学者が極めて少数なのである。だから、学者の意見書をもらうこと、まして証人に立ってもらうのも大変に困難を伴うのである。
また、電力側、国側には多数の有能な技術社員、公務員がいる。彼らは、これでもかとばかりに、詳しい技術的な書類を提出してくる。代理人弁護士名の準備書面のかたちは取っていても、実質は技術社員が書いたと思われるものも多い。他方、原告側にはそのような者はおらず、 一から十まで弁護士が勉強をして書面を書くのである。代理人弁護士の処遇にしても電力側の弁護士は十分な報酬を得て原発擁護事件に邁進できるが、脱原発側弁護士は着手金も成功報酬も無いことが圧倒的に多く、他の民事事件で細々と収入を得て、原発事件につぎ込むという者が大半である。  一から十までそのような状況であるから、裁判官は、双方の主張書面、証拠を見るときに、割り引きをして判断をすべきである。

四 課題四
技術的な迷路に入らない第四の方法として、技術的に微細な論点に惑わされず、原発訴訟の各論点は、本来的には常識で判断しうる問題であることをよく理解することである。
大飯原発差止の本案訴訟で福井地裁判決が「十年の間に基準地震動(想定地震強度)を超える地震が五回も原発を襲っているという事実は、結果として基準地震動の定め方が不適当ということを意味する。なぜそうなったのかを後講釈で聞いても意味がない。」と断じた手法である。「ハウスメーカーの住宅の耐震力は五一一五ガル(三井ホーム)、三四〇六ガル(住友林業)などである。他方、高浜原発の耐震力(基準地震動)は七〇〇ガルである。原発が住宅よりも六・七倍も弱くてよいはずはない。せめて、日本の過去最大の四〇四四ガル(岩手・宮城内陸地震)を耐震力にすべき」というような手法である。
このような方法だと技術的に素人である裁判官も自信をもって判断することができる。

五 課題五
第五に留意すべきは被害の大きさと要求される安全度は正比例するということである。
裁判官はまず第一に、その原発が危険かを判断し、第二に危険だと判断できたらそれによって起きる被害の大きさを判断し、しかるのちに差し止めるか否かを決定するという思考過程を取りがちである。現にそのように言明し「福島原発事故による被害のことは後回しだ。当該原発が安全ということになれば、その論点に入る必要がないのだから。」と言った裁判官がいた。それに対し私たちは「それは違う。福島原発事故による被害を立証することにより当該原発が重大事故を起こしたときに引き起こす損害の大きさを立証することは必要だ。なぜなら、予想される被害の大きさとその原発に要求される安全度は正比例するからだ。花火工場、ガソリンスタンドに要求される安全度と原発に要求される安全度とは格段に違う。だから、ただ抽象的に、「当該原発は事故を起こす可能性はあるか、という判断では駄目だ」と主張し審理方針を変えさせた

第四 おわりに―原発裁判は政治的裁判ではない
原発訴訟において、原告側(住民側)を勝訴させることは裁判官にとって大きな精神的負担となると言われる。それは、本来は間違っていることだ。なぜなら、原発是か非かという問題は、本来であれば、単に電気の作り方に関する価値無関係的問題のはずだからである。そのように科学的・物理的問題が政治問題化するのは、我が国においては、原子力発電が強大かつ堅固な政・官・財の利益共同体(「原子カムラ」といわれている)によって推進されているからである。最高裁判所もその意向を付度しているかもしれない。原発問題を政治間題化しているのは、原発反対派ではなく、原発推進勢力なのである。原発に反対することは、この強大な利益共同体と政治的対決をすることになる。原発を差し止める判決を出すことは、この強大な利益共同体の意向に反することになる。そして、その原子カムラに属するマスメディアの一部は、心ない批判をその裁判官に投げかけるのだ。それが、裁判官が大きな精神的負担を感ずる原因である。
しかし、憲法七六条三項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と規定している。裁判官は、そのような精神的負担をはねのけて「良心」と「憲法又び法律」にのみ従って判決をしなければならない。判決は匿名で書くことはできない。必ず歴史に名を残す。将来、大災害やミサイル攻撃などによって原発重大事故が起きたときに、それを許してしまった裁判官として名を残すのか、国民を国家的破滅から救った名裁判官として名を残すのか。それが間われるのである。

(かわいひろゆき・弁護士)

[編注]「独立した司法が原発訴訟と向き合う」では、今後、井戸謙一弁護士、海渡雄一弁護士、中野宏典弁護士、岡田正則教授が論じる予定です。