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┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓ 第105号 2025/4/16
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トルコの原発とヨルダンの「神」 近江屋信広
最近の原発裁判に見る司法の後退 山崎久隆
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トルコの原発とヨルダンの「神」
近江屋信広
3月、トルコとヨルダンを訪れました。
トルコで、荘厳なイスラーム・モスクを数多く見学し、その間、大統領肝いりの初の原発を見ました。原発には国民の猛反対があり稼働していません。トルコの自然エネ電源は、水力、風力、太陽光、地熱で41%(23年末)に達しており、原発なしで経済社会が回っている状況にあります。
19日、エルドアン大統領の政敵のイスタンブール市長が汚職等の口実で警察に拘束されたと報じられました。学生の抗議行動が起こり、それを鎮圧するため機銃を持った黒ずくめの治安部隊が走っていくのを車中から目撃しました。現地の女性ガイドは、「これで『共和国』と言えるのか。世界に恥ずかしい。私も黙っていません」と怒っていました。
帰国後、彼女に手紙を書きました。「ジーン・シャープ著の『独裁体制から民主主義へ』(権力に対抗するための教科書)を参考に、戦略的・計画的な非暴力闘争を展開し、独裁体制を打倒してください。あわせて原発ゼロの徹底を祈ります」と。
ヨルダンで、モーセの終焉の地とされるネボ山の山頂から、ユダヤ人にとっての「約束の地」エルサレムを眺め、「十戒」に違反するジェノサイドの現場、ガザの方向を確認しました。
日本の弥生時代にあたる2千年以上前、ナバタイ王国の首都だったペトラの遺跡も巡りました。いちばん印象に残ったのは、目はあるが口も手もない「神」の彫像です。「神」は人間の行いをじつと見ているが、口も手も出さない。ナバタイ人の「神」は「全知ではあるが全能ではない」と言い得るものであり、この「神」観念は正しいと思いました。
「人間の行い」と言えば、日本における世界史上最悪の原爆被害と原発事故はどちらも「人災」です。本来、倫理的にも能力的にも不完全な存在である人間が、二度と核をめぐる暴走を生じさせないためには、核兵器を廃絶し原発を廃止するほかありません。
日本は国連において31年連続、核兵器廃絶決議案を提出し採択されてきましたが、核兵器禁止条約には後ろ向きです。政府はこのような矛盾した態度を止め、条約締約国の一員になり、率先して核保有国を説得する活動などに力を尽くすべきです。
また、国内において南海トラフ大地震が予想される中、国会・内閣は、さらなる原発事故を回避するべく、一刻も早く原発ゼロ・自然エネルギー中心への転換を宣言するべきです。
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最近の原発裁判に見る司法の後退
山崎 久隆
1 国の原発推進政策に呼応した司法
震災から14年が経過しようとする今、2025年2月から3月にかけて立て続けに、原発に関連した司法判断が出された。しかしそれは全て、原発推進政策に大転換した国の行政に追従する司法の姿勢を露わにするものだった。問題となる司法判断は次の5つだ。
◎川内原発差止訴訟での鹿児島地裁判決(2月21日)
鹿児島地裁(窪田俊秀裁判⻑)は川内原発の運転差し止めを求めた訴訟で、差し止めを認めない判決を言い渡した。このケースも、裁判所は、新規制基準適合性審査に適合していると原子力規制委員会が判断した場合には、社会的に許容される程度の安全性が確保されていることが推認されるとし、住⺠側が主張した安全対策の不備についても、九州電力が過⼩評価していることはなく、規制委の審査判断が合理性を⽋くとはいえないと結論付けた。
◎伊方原発差止訴訟での広島地裁判決(3月5日)
広島地裁(大浜寿美裁判長)は伊方原発の運転差し止めを求めた訴訟で、差し止めを認めない判決を言い渡した。規制委が定めた規制基準が原発の安全性確保の指針として有効であること、被告四国電力の安全対策が合理的であることを前提にし、伊方原発3号機が原告らの生命・身体・健康等を侵害する具体的な危険性を引き起こすおそれは認められない、として原告の主張を容れなかった。
◎東電元副社長の刑事裁判無罪確定(3月6日)
最高裁判所第二小法廷(岡村和美裁判長)は福島第一原発事故をめぐる刑事責任(業務上過失致死傷の罪で検察審査会により強制的に起訴)について、長期評価は当時の国の関係機関の中で信頼度が低く、行政機関や自治体も全面的には取り入れていなかった。10mを超える津波を予見できなかったとして、裁判官全員一致の意見で上告を退ける決定をし、武黒一郎元副社長と武藤栄元副社長の無罪が確定した。なお、勝俣恒久元会長については昨年10月に死亡したため起訴が取り消されていた。
◎老朽原発差止訴訟での名古屋地裁判決(3月14日)
名古屋地裁(剱持亮裁判長)は、高浜原発1、2号機及び美浜原発3号機の運転期間延長認可処分等の取消等を求めていた事件で、これら老朽原発の規制委による審査に問題はないとし請求を棄却した。
◎伊方原発差止訴訟での松山地裁判決(3月18日)
松山地裁(菊池浩也裁判長)は運転の差し止めを求めた住民の請求を退ける判決を下した。新規制基準に適合していれば安全だという結論ありきの判決。
これらに共通する判断根拠について、どう考えたらいいのだろうか。
まず、最高裁第二小法廷では、いかなる論理で取締役2名は無罪とされたのだろうか。
2 科学的根拠とリスク評価の判断基準の劣化
福島第一原発事故に関連して業務上過失致死傷罪で強制起訴された裁判では、検察側(指定弁護士)と被告側の主張に対して最終的に最高裁は被告人側の主張を支持した。
津波の予見可能性では、検察側は2008年から2009年にかけて政府の地震調査研究推進本部(地震本部)が公表した「長期評価」に基づき、最大15.7mの津波が福島第一原発を襲う可能性を東電が試算していたと指摘した。
この試算結果は、当時の経営陣に報告されていたことから、経営陣は津波リスクを予見し防止措置を講じる義務があったと主張した。
適切な対策を怠った結果、2011年3月11日の東日本大震災に伴う地震と津波で原発事故を引き起こし、避難中の双葉病院の患者ら44人が死亡するなどの重大な被害が生じた。これらは経営陣の過失によるものであるから業務上過失致死傷罪が成立すると主張した。
一方、被告人側の主張は、まず長期評価の信頼性について、長期評価が科学的根拠の不十分なもので信頼性に欠けるとした。
そのため、この評価に基づいて具体的な対策を講じる義務は東電経営陣にはなく、当時の科学的知見や技術的限界から、15.7mの津波を具体的に予見することは困難であり、したがって結果回避義務も存在せず、過失は成立しないと主張した。
最高裁第二小法廷の判断は、まず長期評価の信頼性と予見可能性に関して、政府の「長期評価」は「信頼度も低く、10mの高さを超える津波が襲来する現実的な可能性を認識させる情報だったとまでは認められない」と判断した。これで、事故の結果回避可能性も否定され、被告人ら経営陣を無罪とした一、二審判決を支持する結論とされた。
科学的根拠の信頼性やリスク評価の判断基準が刑事責任の有無に直結することを示した今回の判決は、今後の原発事故への対応や防災体制全体について禍根を残す後退を意味し、大きな問題である。
3 地震本部の長期評価を無視する判決は何をもたらすか
地震本部による長期評価は、現在も継続して行われている。昨年8月には2024年1月の能登半島地震を受け、作業を早めて「兵庫県沖から新潟県上越沖」までのものを公表した。
ところが最高裁によれば、こうした長期評価には信頼性がなく、これに基づいた対策は何ら必要ないというのだ。ではいったい何のために、日本で最高水準の研究者が集まって議論し、評価書を作り続けているのか。全く無駄だというのか。
もちろん、地震や津波評価の正確性は未だ途上である。どこで、いつ、どれだけの規模の地震や津波が発生するかを当てることなど不可能である。しかし相当の確からしさを持って、地震や津波の規模や時期を、できうる精度で絞り込み、地震、津波防災に資するために多くの予算をかけて行っている事業ではないか。これを無視して防災体制も地震・津波対策も取らない行政(自治体)や企業があり、評価のような地震や津波災害が実際に起きて市民の命が奪われたら、その責任は追及されるべきではないのか。最高裁は「そんなことは必要ない」という。地震・津波防災をも妨害する暴挙だ。
行政機関だけではない。大勢の人命に影響を与える原発についても同様である。
4 各地裁、高裁の差止却下判決に見る行政への迎合
福島第一原発事故のような過酷事故が発生した場合、事業者と国の責任が問われる。
これらの判決は、国(規制委)の審査により安全性が確保されているとの前提に立っており、事故発生時の事業者および国の責任について十分な検討をしていない。
福島第一原発事故の教訓を踏まえれば、事故を起こせば国と事業者に極めて大きな責任が及ぶことは自明であり、それについて触れていないこと自体が、3.11を経た現代において批判に耐える判決とは到底言えない。以下、具体的に指摘する。
(1)事業者(被告)の責任
①原子力損害賠償の無限責任は今も存在する
日本では「原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)」により、原発事故による損害賠償責任は原則として電力会社(事業者)が無限責任を負うとされている(原賠法第3条)。
これは福島第一原発事故を基本に置いて考えるべきである。過酷事故後の東電の実態を見れば明らかなとおり、実際には事業者が単独で事故の損害を賠償することなど極めて困難(不可能)であり、最終的に税金(公的資金)による救済、すなわち巨額の税金投入が必至の事態になる。福島第一では新たな法律「原子力損害賠償支援機構法」(現在は原子力損害賠償・廃炉等支援機構法)を定め損害賠償を行うことになった。現在まで賠償や廃炉に、ざっと23兆円の費用がかかると見積もられているものの、これらの費用を東電が全部負担することなど到底不可能である。また他の原発でも同様の事故が発生すれば、電力各社が事故に伴う損害賠償を単独で全て負担できるとは到底考えられず、結局は国民負担となる。
②事業者はリスク認識が決定的に欠如している
事業者は「規制基準に適合している」として、地震・津波・火山リスク評価を審査会合等において国に提出し、または規制庁に対して説明し、これらの対策を十分行っている旨説明している。しかし事業者は自然現象をあまりに過小評価している。例えば福島第一原発事故では「想定外の津波」が原因で過酷事故が発生した。
事業者がリスクを十分に認識せず、コスト優先で安全対策を怠った場合、その責任は極めて重大である。
③被害者への賠償の不確実性
福島第一原発事故では、被害者への賠償が長期化し、多くの被害者が十分な補償を受けられていない。
電力会社が賠償責任を負うとしても、経営が破綻すれば、被害者が適切な賠償を受けることができなくなる可能性が高い。そして東電はいま、実質経営破綻状態である。
(2)国の責任
①規制機関の監督責任
規制委が「基準を満たしている」と判断しても、事故が起こればその責任は国にある。
福島第一原発事故では、国(旧原子力安全・保安院、経済産業省)が事業者の安全対策を適切に監督しなかったことが事故を招いた要因の一つとされている。
最高裁判決(2022年6月17日)でも、「国は東京電力に対し、福島第一原発の防潮堤設置を指示できたのにしなかった」として、一部の責任を認めた。
他の原発でも、国が「基準を満たしている」との判断で再稼働を認めた後に過酷事故が発生すれば、福島と同じ過ちを繰り返すことになる。
②事故後の責任回避の可能性
福島第一原発事故では、税金で事業者の賠償を肩代わりする一方で、刑事、民事共に現在まで、政府関係者の責任が追及されることはなかった。
これらの判決が示すように「規制委の判断が不合理でなければ原発は安全」という考え方では、将来事故が起きた際も国は責任逃れをする可能性が高い。
国が原発の安全性を保証する以上、事故時には、許可した政府関係者は全面的に賠償・補償責任を負うべきである。
(3)責任の所在が不明確なまま原発を運転するリスク
裁判所は、事業者が「原発は安全であり、事故は起こらないように国の規制に沿っている」と主張し、国が「規制基準を満たしているから問題ない」と判断して再稼働を認めたことで、差し止める根拠はないとしているに過ぎない。
その評価や判断が妥当かどうかを再度審理し判断するのが裁判所の役目であるはずが、まったく審理していない。これでは「国の指示通りの事業者には問題がない」と言っているに過ぎない。訴えた意義さえも無駄だと言っているに等しい。
福島第一原発事故が「想定外」の地震・津波で発生したように、どれほど厳格な基準を設けてもリスクをゼロにはできない。そのことを裁判所は認定した上で、そのリスク評価の妥当性を判断しなければ、裁判の意味がないのである。
原発の運転により将来起こり得る甚大な被害と国民負担を「仕方がない」ものとするのか、それとも「そうした危険性はない」と判断するのか、根拠を挙げて判決するべきである。
これらの判決は、1992年の伊方原発差止訴訟の最高裁判決にも抵触すると考える。
(参考)伊方原発訴訟最高裁判決(1992年10月29日)
「現在の科学技術水準に照らし、右調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政庁の右判断に不合理な点があるものとして、右判断に基づく原子炉設置許可処分は違法と解すべきである。」
(4)人格権・生存権についての問題点
これらの判決では、原告の人格権・生存権に基づく訴えを退けている。しかし、過去の判例と照らし合わせても、人格権・生存権の保護が不十分と言わざるを得ない。
①大飯原発差止福井地裁判決(2014年5月21日・樋口英明裁判長)との乖離
福井地裁樋口裁判長は次のように述べている。
「大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。」「具体的危険でありさえすれば万が一の危険性の立証で足りるところに通常の差止訴訟との違いがある。」「この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、その侵害の理由、根拠、侵害者の過失の有無や差止めによって受ける不利益の大きさを問うことなく、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できる。」
加えて、原発は代替性のある発電手段(電気を生み出すための一手段たる経済活動)に過ぎず、他に代替が効かない人格権の侵害とは比較できない(憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきもの)としている。
これに対し、最近の判決は「規制委の判断が不合理でない限り、人格権侵害の危険はない」としているが、これは大飯原発差止判決と乖離する考え方である。原発事故のリスクがある限り、人格権を侵害する可能性があるという判断がより妥当である。
②生存権を否定する判決
高浜原発差止仮処分大津地裁決定(2016年3月9日・山本善彦裁判長)
大津地裁山本裁判長は、原発の運転と生存権(憲法25条)について、地震や津波などの自然災害、及び人為的な事故のリスクを詳細に評価し、住民の生命・身体の安全を脅かす要因となり得ると判断した。決定では、基準地震動を超える地震動が高浜原発を襲う可能性があること、基準地震動以下の地震動によってすら、外部電源や主給水ポンプが破損し、原子炉の冷却ができなくなる可能性があること、使用済み核燃料が堅固な容器で覆われていないことで、住民の生存権を脅かす危険性があると判断した。
また、前述の伊方原発訴訟の最高裁判決との関連では、原発の安全性について、被告である行政側に「判断に不合理な点のないことを相当の根拠・資料に基づき主張・立証する必要」があるとしており、「立証を尽くさない場合」には、「判断に不合理な点があることが事実上推認されるものというべき」と判断した。
これに対し、最近の判決は「生存権に具体的権利性が認められない」としているが、原発事故が起これば住民の生存が脅かされるため、生存権を無視すべきではないのは自明のことだ。これらの判断も大津地裁決定から乖離し、大きく後退している。
5 原発事故の責任を問い続けよう
原発事故は、そうした災害対策をしなかった東電が引き起こした人災であり、損害賠償請求では全ての裁判所が責任を認め、賠償を命じている。
株主代表訴訟でも2022年7月の判決で、今回の刑事裁判で無罪とされた2名を含む4名に、13兆3210億円の賠償を命じている。
民事では全て責任を認めているのに、刑事裁判だけが無罪とされた。その根拠は、判決文を読んでもわからない。
民事では、長期評価を無視して地震・津波対策が行われず、3基の原発をメルトダウンさせたことが事実認定されている。さらに、結果回避義務(原子炉を破壊されないよう建屋を水密化するなどすること)も果たしていない。これらは原発事故を引き起こした要因になると認定している。
ところが最高裁第二小法廷は、長期評価を取り入れて原発事故を防ぐ義務もないし、結果回避義務もないとしてしまった。それでは、現在行われている特定重大事故等対処施設の建設も意味がないことになるではないか。
この判決と対照的な、東電株主代表訴訟の朝倉判決では、東電の不作為について、以下のような認定をしている。
『原子力発電所において、一たび炉心損傷ないし炉心溶融に至り、周辺環境に大量の放射性物質を拡散させる過酷事故が発生すると、当該原子力発電所の従業員、周辺住民等の生命及び身体に重大な危害を及ぼし、放射性物質により周辺環境を汚染することはもとより、国土の広範な地域及び国民全体に対しても、その生命、身体及び財産上の甚大な被害を及ぼし、地域の社会的・経済的コミュニティの崩壊ないし喪失を生じさせ、ひいては我が国そのものの崩壊にもつながりかねないから、原子力発電所を設置、運転する原子力事業者には、最新の科学的、専門技術的知見に基づいて、過酷事故を万が一にも防止すべき社会的ないし公益的義務がある。(中略)
東京電力の取締役であった被告らが、最新の科学的、専門技術的知見に基づく予見対象津波により福島第一原発の安全性が損なわれ、これにより過酷事故が発生するおそれがあることを認識し、又は認識し得た場合において、当該過酷事故を防止するために必要な措置を講ずるよう指示等をしなかったときには、東京電力に対し、取締役としての善管注意義務に違反する任務懈怠があったことになる。』
(民事第8部・朝倉佳秀裁判長、丹下将克裁判官、川村久美子裁判官)
これこそが正しい司法判断である。これからも国と電力会社の責任を追及し続けよう。(脱原発・東電株主運動ニュース第335号より転載)
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