「中間貯蔵施設」は渋谷区全体の広さ!

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2019/09/04

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☆☆短編映画『動かぬ証拠と原発事故』が完成しました☆☆
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メルマガ44、45号でも福島第一原発を視察した報告を配信しましたが、今回は主催した下村満子さんからのレポートです。かなり長いですが、全文掲載いたします。

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『福島第一原発事故サイトと中間貯蔵施設を視察して考えたこと』
下村満子

先週末、2泊 3日で、私が主宰する「下村満子の生き方塾」の夏合宿で、いわき市に隣接する福島県楢葉町のJビレッジに2泊3日し、塾生40余名を引き連れ、今年8月からやっと廃炉作業が始まった福島第一原発内の視察と、8年間の除染作業の結果、居住地域の庭先や田んぼなど、至るところに、黒い袋に入れられ積み上げられていた膨大な汚染ゴミの「中間貯蔵施設」と称する所に入り、現場を視察した。この「中間貯蔵施設」は、環境省のコントロール下にあるが、ここに入る許可を得た民間グループは、私たちが初めてだと言われた。

F1に入ったのは、私は、これで2度目である。
その時以来、オリンピックに向けて安倍首相が発信した「FUKUSHIMAは、Under Control」と言う言葉は、「全く嘘」という現実を、塾生たちに体験させたいと思ってきた。今回、それがようやく実現した。

「生き方塾」の応援団の1人であり、塾生でもある株式会社エイブルの佐藤順英社長は、現在、福島第一原発の、世界に類を見ない困難な廃炉事業の先端を担っており、大変苦労している。通常、こうした大事業は、ほとんど大手ゼネコンが請け負っているが、エイブル社は、F1から15キロほど南に位置する地元広野町に本社を置く、地元企業である。もともと、原発事故の起こった大熊町に本社があったが、事故で全てが吹っ飛び、全てを失った。が、地元を何とか復興させたいという強い思いで頑張っており、「報道ステーション」でも紹介されている。

そうした佐藤さんのツテもあるので、以前から、なんとか塾生たちに「現場」を体験させたいと、2人で話し合っていたが、今回それが、やっと実現した。ただし、東電からは、40人以上は受け入れられないと言われていたので、今回の合宿は、申し込み先着、40名までとしたところ、2日間で、あっという間に定員に達し、参加できなかった塾生も沢山いた。

吉原毅原自連会長、佐藤弥右衛門さん、湯川れい子さんは、いずれも私の「生き方塾」の応援団になっていただいているので、参加をお呼びかけした。皆様、事前勉強会や、視察後の勉強会では、それぞれ大変インパクトのあるお話をしていただき、塾生たちに沢山の学びと大きな影響を与えて下さった。

吉原さんも湯川さんも、私よりはるかにフットワークが良く、すでにそれぞれ素晴らしい一文を原自連に寄せておられるので、今頃私が、と思ったが、「生き方塾」は、東日本大震災及び福島原発事故が起って、わずか1ヵ月後に、「命とは何か?」「生きるとは何か?」という、「人間の根本問題」と向き合う塾として、両親の故郷、先祖伝来の地である福島で立ち上げたものであり、「日本人の『心の再生』と『地方の再生』なくして、日本の再生はない」という強い思いから始めたものだった。福島のDNA、100%の私にとって、原発事故は衝撃的だった。
が、壊滅的になった福島は、ちょうど敗戦後の日本のように、新しい日本を生み出す1つの契機になり、原動力になるかもしれない、という前向きな期待も持った。

あれから8年半、私にとっては、2度目の、丸1日の、F1視察体験だったが、まず一言で感想を述べるならば、「疲れた」「虚しい」「一体、ここで行われている事は、何なんだ?」ということだった。「疲れ」は、肉体的なものではなく、「精神的な疲れ」だった。

「中間貯蔵施設」というのは、皆様ご存知の通り、放射能で汚染された莫大な除染ゴミを、30年間置いておく、「仮置き場」である。しかし、この「仮置き場」をどこにするかを決めるのに何年もの時間がかかり、その間、汚染ゴミは、いたるところに積み上げられて放置されていた。ようやく、この1、 2年、少しずつ「中間貯蔵施設」への運び込みが始まったが、その場所は、放射能汚染がひどく、ほぼ永遠に帰還できない住宅地や田畑などの広大な土地で、説明によると、東京ドームが350個入る位の広さ、別の説明によると、渋谷区全体位の広さだということだった。「施設」という言葉のイメージとはまるで程遠い、人の住めなくなった、人が近寄ることのできない、隔離された広大な地域、といった方が当たっている。

私たちは、その広大な地域の中を、バスで移動しながら視察した。
大型トラックで運び込まれる汚染ゴミを、燃えるゴミ、石ころのようなもの、土などに仕分け、燃えるゴミは焼却され、土は盛土として15メートル位の高さに積み上げられていく。30年は持つという丈夫なシートを敷き、その上に土を盛り上げていくので、汚染が下に漏れることは無いという説明だった。

汚染ゴミを全てここに運び込むのに、2023年位までかかるとのこと。ここは中間貯蔵施設なので、ここに埋め立てたすべての汚染ゴミを、30年後までに(実際には、すでにこの施設が開設されて5年目になるそうなので、説明員に言わせると、25年後だ)この広大な土地に盛られたすべての土やその他の汚染ゴミを、別のところに移動させるなど、誰が考えたって不可能としか思えない。

「そんなこと誰も信じないでしょ。嘘だとはっきりわかっていることじゃないですか。渋谷区ぐらいの広い場所をどうやって、どこに探し、この膨大な汚染土や汚染ゴミをどうやって掘り返し、どうやって別の場所に持っていくのですか? 結局、ここは『中間貯蔵施設』ではなく、『永久放棄地』になるのですよね」と言ったら、その説明員は、何も答えず、ちょっと笑っていた。

「中間貯蔵施設」の視察で、もう一つ印象的だったのは、この広大な領域のあちこちで、大きな建物や設備を作り、巨大なクレーンや機械、その他の機器を使って作業をしているのは、全て、鹿島、清水、大林といった大手ゼネコンであることだった。結局、こうした原発事故の後始末は、大手ゼネコンの「稼ぎ場所」となっている、これまでと変わらぬ光景だった。
ここで毎日、4000人余の人々が働いているという。

福島第一原発事故サイト(F1)内の視察では、この8月1日からようやく始まったばかりの廃炉の現場、汚染水の貯蔵状態、作業の現状等々を見た。
この中に入るまでが一騒動で、1ヵ月ほど前までに名前の登録、住所、連絡先、職業等等の個人情報と、免許証やパスポート等の写真付き身分証明書を事前登録し、それと同じものを持参し、入る前に提示する。その後も、海外旅行で出国する時よりもはるかに複雑なチェックがある。カプセルの中に入れられ、暗証番号を押させられたり、金属探知機のチェック等、よく覚えられない諸々の検査があった。
実は、中間貯蔵施設に入る時も同様に、事前登録した身分証明書を提示し、さらに施設から出る時にも、再度同じ身分証明書を提示する仕組みになっていた。

昼食は、作業員と同じカフェテリアでとったが、やはりチェックがある。

F1内に入ると、これまた広大な土地に、6基の原子炉が立っており、爆発した4基の原子炉の近くまで行き説明を聞いた。

前回視察した2年ほど前には、汚染水を貯蔵したタンクが積み上げられてはいたが、まだまだ土地には余裕があるように見えた。が、今回は、前回広く見えたF1内には、汚染水が入ったタンクが林立し、また、廃炉のための様々な機械、機器があちこちに置かれ、新しい設備、建物などが建てられており、かなり満杯状態のように見えた。東電の説明員の話によれば、2年後ぐらいには、汚染水タンクの置き場がなくなる状態だとのことだった。「その後どうするのですか?」と聞くと、「それは政府や、上の方が決めることなのでわからない」とのこと。今のところ何も決まっていないようだ。

ここでも、およそ4000人の人が毎日働いている。外から見ると、そんなに大勢の人がどこにいるのだろうという感じだが、おそらく建屋内や、外からは見えない内部の危険な場所で働いているのだと思う。

前述した、塾生・応援団である佐藤順英社長率いるエイブル社の廃炉作業も見えた。巨大クレーンの先にカッターのようなものを付け、排気筒を少しずつカットして低くしていく作業だそうだ。このために作業員は、長期にわたり仮想現場を作り訓練をしてきたが、やはり仮想空間と現場とは違い、大変苦労をしているようで、作業は全体に遅れている。

中間貯蔵施設で4000人余、第一原発内で4000人余、計8000人余りの人々が、毎日、原発事故の後始末のために、黙々と一生懸命、健康被害の恐れのある現場で働いている。

前回訪れた時は、F1内で、6,300人働いていると聞いたから、少し減っているのかもしれないが、原発事故の起こった2011 年から今日までの8年半に、ここ事故現場で働いてきた人々合計は、一体何人になるのだろう?

作業員ばかりではない。ここに投入されてきた資金、優秀な頭脳を持つエンジニアなどの人材、その他多くの労力、エネルギー、精神力等々は、気の遠くなるようなものだと思う。しかも、8年半経ってやっと、廃炉作業が始まったばかりであり、中間貯蔵施設といわれるところに汚染ゴミが運び込まれ始めたのである。これは、福島原発事故の後始末のほんの始まりに過ぎない。これから先、何年かかるのか?  50年とも100年とも言われる。

この隔離された広大な領域で、毎日8000人もの人々が汗水流して働いている事を知っている日本人は、ほとんどいない。ここは、8000人の人が働いている、「隔離されたゴーストタウン」だと、私は思った。

天井なしの莫大なお金と(およそ毎年2000億円のお金が、これら関連事業や地域に投入されているという)、マンパワーと人材、技術とエネルギーが、単に1つの原発事故の後始末、つまり、事故で生じた無限大のマイナスを、何とかゼロに近づけるための、果てしない作業に費やされているのだ。しかも現場の作業員や技術屋さんや担当者たちが、どんなに一生懸命、必死で働いても、どんなに頑張っても、決してゼロには到達できないことがわかっている作業だ。むしろ、やればやるほど、更なるマイナスが生じてくる。しかも、誰も、ここでやっていることを評価しない。気の毒なことに、何の罪もない、ここで働いている人たちも、評価されない。どんなにお金をかけても、どんなに人材や人を投入して頑張っても、何一つ生み出さない、非生産的な仕事である。モチベーションも出ようがない。

これだけの人と人材、技術、資金、エネルギーとパワーを、例えば自然エネルギーの開発というような新しい、未来志向型のプロジェクトや事業のために振り向ければ、どれほど多くのものを生み出すことができるだろうか、どれほど働く人々のモチベーションが上がり、やる気と頑張る気力が出てくるだろうか。おそらく無限に、生産的、創造的なものを生み出すことができると思う。

起こってしまった福島原発の安全な廃炉や汚染ゴミ、除染ゴミの処理は、どうしてもやらなければならない。
しかし、これだけの壮大な無駄、喪失、犠牲、それも物質的なものだけではなく、命、心、家族、故郷、平穏でささやかな幸せ、こうした金銭では取り戻せない、目に見えない、人間にとって最も大切な「価値」を失った福島の現状と現実を体験しても、なお、原発の再稼働を主張する人たちとは、一体何なんだろう? この人たちは、本当に「人間の心」を持っているのだろうか? 私が、F1の視察を終えて、精神的に疲れた、というのは、この虚しさと、やるせなさからくるものだったのだと思う。

元東京電力の副社長で、事故発生後発足した、福島復興本社の社長も勤めた石崎芳行さんは、昨年同社を退社し、残る人生は、原発事故の起こった福島の浜通り地域の復興のために、これからは住民と共に新しい街作りを目指し、出来ることは何でもしたいと、地元に居を移し、地を這うような努力をしている、純粋な方である。

福島第二原発の所長も務めたことがあるので、今回の合宿の、F1視察の前日の勉強会で、事故当時の事や、東電内の事情をよく知る立場で、塾生たちに話をお願いした。

事故発生直後に、何百という身元不明の遺体置き場に連れていかれた時の気持ちを話し始めた時、石崎さんは、声を詰まらせ、話を続けることができなくなった。うなだれ、咽ぶように話しを再開した石崎さんの姿を見て、私は心打たれた。

その後、塾生との質疑応答になり、今後の日本のエネルギー政策について聞かれると、石崎さんは「やはり、当分の間は、様々なエネルギーの組み合わせの中に、原発は欠かせないと思う」と答えた。
石崎さんには、以前私も、このことについて質問したことがあるが、その時も同じ答えだった。

私は石崎さんを、人間的に大変立派な方だと思っており、東電を離れた後は、公の場でも、東電の内部体質について率直な批判をされているし、原発事故についても、不可抗力の事故ではなく「人災」であると自分は思っていると述べている。あの時の大災害の犠牲者の遺体を見たときの衝撃と悲しみについて、8年後の今語るときにさえ、涙を抑えられないほどの優しい心の持ち主である石崎さんから、それでもなおかつ、「原発は当分必要」という答えが出るのは、私には理解できないのですが、と私は聞いたたことがある。ちなみに、石崎さんは技術系の人ではなく事務系の人である。

辞めたとは言え、元東電の副社長だったのだから、東電に遠慮して言えないのでは、と思う人もいるかもしれないが、石崎さんとはそれなりに長いお付き合いでもあり、その人柄を知っており、「おかしい事は、おかしい」と、ソフトだが頑固な口調で言う人なので、これは彼の信念なのだと、私は理解した。

吉原さんは、「ああいう善良な人が、ああいうことを言うと、マインドコントロールされてしまうので、かえって危険ですよね」と私に漏らしたが、逆に私は、東電の中にいると、石崎さんのような人でさえ、マインドコントロールされ、なかなかそこから出られないのだから、ましてや一般の日本国民が、「原発マインドコントロール」から目を覚ますのは、容易ではない、とつくづく、心から思った。

原自連は、一般の人々に対する、「原発なしで、私たちがその気になれば、自然エネルギーだけで充分やっていけるのだ!」というキャンペーンにもっと力を入れるべきではないか、というのは、以前から私が感じていたことではあるが、今回の合宿で、かなり優秀な、社会的にも活躍している、20代から70代という世代にわたる私の塾生たちの、原発や自然エネルギーについての「知らなすぎ」を改めて知り、塾長である私自身恥じいると同時に、トシである私はかなり疲れたが、塾生たちの感想文を読むと、一人一人が「人生観が変わった」「これからもっと原発や自然エネルギーのことを勉強し、未来の日本を自分たちの手で作っていこうと思った」「もっと、行動や実践をしていく」といったことを書いており、合宿が大きなインパクトを与えたことを知り、F1視察の合宿をやって本当に良かったと思っている。

吉原さんに教えて頂き、「文芸春秋」9月号の「福島第一原発は、津波の前に壊れた」という、元東電の、炉心屋と言われる木村俊雄さんの一文を読んだ。
大変説得力のある、ほぼ100パーセント間違いないと思われる内容だと思った。

私の塾生の1人に、合宿前にこれを読んできた者がおり、かなり興奮気味に、この「文芸春秋」の記事の内容を、彼の発表の場で語った。
津波の前に、地震ですでに、福島第一原発は破壊されていたとすると、津波対策に多大なお金をかけ、それをクリアすれば再稼働はOKだと思わされている日本人は、完全に騙されていることになるし、命の危険にさらされていることになる。

原自連がやらなければならない事は、山のようにある。しかも、これは時間との勝負でもある。

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